2012/12/01/Sat
(平成24年11月27日(火)のつづき)
★そごう神戸店をあとにしてギャラリー島田(兵庫県神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲート)へ!時間は16時30分を過ぎており、当日は火曜日なので18時閉廊のところを17時と勘違いし、急いで北野の坂を上っていきました。
先ずは梅田恭子先生(埼玉県)の『梅田恭子 -月 糸(にくづき いと)-』会場である1階deuxに入りました。

★作品とともにタイトルが意味深いものでしたので、在廊されていた梅田恭子先生に色々と質問しました。梅田先生にお茶をご馳走していただき(この時点で閉廊時間が17時でなく、18時であると判明!)、ひと言ひと言ことばを選ぶよう丁寧に質問にお答えいただきました。
梅田先生の姿勢に大いに感銘を受けました!!!


▼梅田先生に頂きました!

PS.1F会場ではギャラリー島田オーナーにもお会いし、ある決意を話しました。島田オーナーは握手して大いに賛同していただきました!!!新しいステージ、そして作品制作に励みたいと思います!!!
ツブノヒトツヒトツ―梅田恭子銅版画集 [単行本]
梅田 恭子 (著)
2012/12/01/Sat
(平成24年11月27日(火)のつづき)
★ギャラリー島田1F「梅田恭子 展」をあとにしてB1Fの『松岡美子 展』会場へ!在廊されていた松岡美子先生(奈良市)と暫し歓談。このところ精力的に作品を発表され絶好調の松岡先生です。大変そうでしたが、まだまだアクセルを踏み続けられるご様子に大いに刺激を受け、会場をあとにしました。駆け足で三ノ宮・元町界隈を巡りましたが、これでオシマイ!

PS.平成24年11月30日(金)、夜に今年最初の忘年会に出席。西村市長さんや小田県会議員さんにもご出席していただき、2時間あまりが短く感じるくらい大いに盛りあがり楽しく過ごしました。特に市長さんとは席が対面でしたので、じっくりと話が出来る良い機会となりました!(今回も妻が送迎してくれました。(感謝!))
維新・改革の正体―日本をダメにした真犯人を捜せ [単行本(ソフトカバー)]
藤井聡 (著)
2012/12/01/Sat
本日12月1日(土)よりギャラリー島田イチオシの人気作家お二人の展覧会が始まります。初日1日(土)は通常12時開廊のところを10時30分とし、整理券が配布されるそうです!

●『石井一男 展』&『須飼秀和 個展』
2012年12月1日(土)~12日(水)
12:00~19:00(火曜日は18:00、最終日は17:00まで)
ギャラリー島田(兵庫県神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲート)
石井一男展はB1F、須飼秀和個展は1Fdeux
★石井一男画集「女神」(風来舎)も刊行! 3150円(税込)

奇蹟の画家 [単行本]
後藤 正治(著)
奇蹟の画家 (講談社文庫) [文庫]
後藤 正治(著)
愛と魂の美術館 [単行本]
立川 昭二 (著)
※この本の最後が「無心の祈り」で石井さんが紹介されているそうです。
いつか見た蒼い空 [単行本]
須飼 秀和
2012/12/01/Sat
(平成24年11月10日(土)のつづき)
★ギャラリー池川、永富家住宅をあとにし、揖保川沿いを北上して龍野市街地に向かいました。観光駐車場に車を駐め、久しぶりに龍野城下町周辺を散策してみました。

★観光駐車場を少し歩いて偶然出会った「龍野芸術工房 伊勢屋」
この建物は、「伊勢屋」という味噌屋の蔵として、約200年前の江戸時代に建てられました。昭和になり、味噌屋の時代が終わり、水産加工や缶詰の工場として使われていました。その後、建物の老朽化により閉鎖され、数年間の眠りについていました。
2003年7月、工房代表の堂野能伸氏が中心となり、龍野伝建研究会の協力を受け、藝術工房として扉が開かれたそうです。




★梅玉旅館という明治時代創業の料理旅館の横を通る。ここでは揖保の糸として有名な素麺料理を食べる事ができるのだが、その傍らに「片しぼ竹見学の方はこちらからどうぞ」という看板や貼り紙を見つけることが出来る。
片しぼ竹とは、「節と節の間に交互にしわが出来る竹」とのことだそう。江戸時代に龍野藩主脇坂公が旧領淡路島より藩家老邸(現在の梅玉)へ移植し、門外不出で殿様など上級武士のみが愛でたことからも分かるように、江戸時代にはすでにかなり珍しい竹として知られていたようである。江戸時代の原生地はすでに根滅し、現在ではここ龍野の梅玉敷地内にしか自生していないそうで、国の天然記念物指定を受けている。

★梅玉旅館前の通りです。梅玉の川向こうに「國木田独歩先祖の墓処」がある常照寺というお寺が見えます。




★紅葉の名所である龍野公園・紅葉谷。入り口付近の楓は、木漏れ日も通さぬほど茂っています。特に秋の紅葉の美しさは訪れる人の心を魅了するそうですが、時期が早すぎました・・・・。

2012年総選挙版 質問王ランキング 国会議員☆☆☆(三ツ星)データブック [単行本]
東京プレスクラブ (編集)
2012/12/01/Sat
(平成24年11月10日(土)のつづき)

★龍野神社(兵庫県たつの市龍野町中霞町)へ!
龍野神社は、兵庫県たつの市の鶏籠山南西麓に鎮座する神社。旧社格は郷社。祭神は龍野藩脇坂家初代の脇坂安治。

★1862年(文久2年)に龍野藩第9代藩主脇坂安宅が、賤ヶ岳の七本槍に数えられる龍野藩脇坂家初代の脇坂安治を祭神とする脇坂家の廟として脇坂家上屋敷(現・聚遠亭)の東隣に建立した神社である。1875年(明治8年)9月、郷社に列格した。


★力士像!石段を上りきって龍野神社の境内に入ると、こんな石像がありました???何の説明も無かったので良くは判りませんが、どう見ても力士の石像です。
この像の由来はともかく、ここ龍野は相撲に縁の深い所だったのか????

★この龍野神社の合祀社のひとつに相撲の元祖といわれる野見宿禰(のみのすくね)を祀った野見宿禰神社があるのです。・・というより龍野神社の背後の山は野見宿禰の墓所ということになっているのです。

★野見宿禰は出雲の人!垂仁天皇の命によって当時大和国の怪力の持ち主であった。今一人の相撲の元祖とされる「当麻蹴速(たいまのけはや)」と角力で競い合い、野見宿禰が当麻蹴速の腰を踏み折って勝利したとされています。
野見宿禰が出雲に帰る途中この地で病を得て亡くなったということが『播磨風土記』に記されています。
野見宿禰の訃報を聞いた出雲の人たちが大挙してこの地を訪れ、河原の石を手渡しで山の上まで運んで積み上げ墳墓を築いたのだとか・・・。
その石を運ぶ多くの人たちが野に立つ姿から「立野」という地名が生まれ、後に「龍野」となり今の「たつの市」に至っているのです。
野見宿禰という人はまた、垂仁天皇の皇后である「日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)」の葬儀の際、当時高貴な人人が亡くなると側近は殉死する習わしとなっていたのを、天皇が甚く心を痛めておられると知ってひとつの提案をしました。
それが埴輪を作って実際の人人の代わりに墳墓に埋葬するというもので、喜ばれた天皇が殉死を禁じて埴輪の制を実施され、野見宿禰に土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたという伝承があります。
(考古学的にはこの伝承はあくまでも伝説とされています)

★龍野神社の背後の山に続く坂道。野見宿禰の墓所は興味がありましたが、今回は断念しました・・・・。
野見宿禰と大和出雲―日本相撲史の源流を探る [単行本]
池田 雅雄 (著), 池田 雅之 (編集), 谷口 公逸 (編集)